どの伝統も固定したままでとどまらず、常に拡⼤発展や洗練、あるいはその逆に滅亡や衰退にさらされてきた。我々の活動も現状維持ではなく、拡⼤発展と洗練を⽬指さなければならない。Walk with the sunのビジョンは変わらないが、今これからの時代に必要とされる、夢のある⽅向に変化し続けなければならない。
多くの⼈を動かすために組織は必要で、社⻑・部⻑・主任・⼀般社員といった序列も必要。しかし組織をペチャンコにしたようなフラットさも同時に持ち得たい。我々は同じビジョンの下で同志の集まりなのだ。⽴場に関係なく、必要な意⾒は⼝にして欲しいし、必要なことであればドンドン採⽤する。真剣に仕事をしているもの同⼠、遠慮せずに喧々諤々の議論もドンドンやるべきだ。発⾔の機会はいつだって開かれている。本気になれば誰もが、会社の⼀端を変えることが出来るのだ。
創業者・進藤幸彦がトルコのとある町で見た出来事が商売魂の原点となっている。バスの利用者を案内してチップを受け取った少年が「うれしさのあまり、小躍りしながら両手を伸ばし親指を鳴らして踊った」「見ていて胸が熱くなるものがあった。お金を稼ぐということは、なんて単純な世界だろう。彼はなんて正直に又誇らしげに振舞うんだろう。」
(著書「フォークロア世界への旅」より)
出張の旅費のもとを取れ!昔は胸の⾼さぐらいあるスーツケースを持って出張に⾏ったものだ。そこに商品を詰め込んで、帰国後すぐにお店に並べて売上をたてて、出張経費のもとをとろうというわけ。南⽶の出張は交通費が⾼かったので、元を取るために1⼈あたり2つスーツケースを持つという暗黙のルールがあった。エクアドル、リマ、クスコ、ボリビアと回る出張を、4⼈でスーツケースを8個運んで、奥地のバザールまで出かけたり、標⾼4000メートルの街の⽯畳をガタガタと引きずって歩いたり。⼤変な思いをしたものである。今は仕⼊れの流れも変わったが、こういう泥臭い商売魂は我々の気質としてベースにあるのだ。
利益がでなければ、我々の⽣活や活動を⽀えることができない。利益は売上から経費を差し引いたもの。売上はお客様からの評価であり、仲間の⽇々の努⼒と汗の結晶である。そのお⾦を安易に浪費するのは、お客様と仲間に対する裏切り⾏為。お客様満⾜にマイナスにならないかぎりにおいて、経費は徹底的に厳しく管理されるべきだ。
我々は物づくりやテーマにしている地域になるべく⾜を運ぶ。現地のカルチャーの臨場感や触れ合い、そこにあふれる⼒を感じとる。私たちはリアルの魅⼒と出会いながら物を作っていきたい。そして感性を研ぎ澄まして、今これからの時代に活きる、夢のある商品を創造していく。いつも誰かがインドやタイや、ハワイ、はたまた⽇本国内の産地に出張している。そして本社には世界中から集めてきた書籍・写真集のある図書館もあって、常にリアルの⼀端に触れることが出来る。
⺠芸はあらゆる制限の中、⼈々の創意⼯夫で⽣まれてきた。その⼟地で⼿に⼊る素材や根付いてる技術、など。それらの制約の中、⼈々は創意⼯夫により魅⼒的で独⾃性ある⺠芸を⽣み出した。⾔い換えれば、制約があったからこそ独⾃性や魅⼒が創造されたのだ。
仕事をしていると、さまざまな制約にあう。お⾦も、⼈数も、時間も、必ず⼀定の制約があるし壁にもぶつかる。しかしそれらの制限をかえって活かし、創意⼯夫で壁を突破する。そうすることで、かえって独⾃性ある素晴らしい仕事が産まれるのだ。
路⾯店で商売をやっていると、⾬が降るとお客様が傘を欲しがる。しかし⺠芸的な傘というのは、あっても機能性の上で問題があり、実⽤に耐えない。そこで2000年、オリジナルデザインのビニール傘を開発した。象が主役でインドの伝統を強く感じるデザインにまとまった。この傘は⼤ヒット商品になった。この初の機械製品の商品開発においては、社内の疑問視があったのも事実だ。しかし、いったい何が悪いんだ?お客様のニーズがあるじゃないか。ハンドメイドでなくて⺠芸といえるのかって?これは⺠芸をまとった機械製品で、いわば 「現代の⺠芸」だ。
⾼度に腕を磨いてきた職⼈のように、あらゆる仕事を⼀流まで洗練されたものにしていくべきだ。販売や商品開発、貿易、物流にしても事務職にしても、世の中に通じるその道の⼀流を⽬指すのが我々に根付く職⼈的気質、プライドだ。
たとえば商品開発を必ず卸販売とセットにしているのは、プロの⽬の洗礼を受ける前提で⾝内の⽢えのある開発に終わらないようにするためだ。また仕事は成⻑に応じて任されていくが伝統。腕を磨いてどんどん任せてもらう。どんどん⼤きな仕事を任されてさらに腕を磨く。常に上には上がいるので、謙虚に職⼈気質で腕を磨き続けるのだ。
1998年ごろには、デスクワークの社員は全員パソコンが与えられていた。まだ⼤企業でもパソコン導⼊がそこまでいってなかった時代にである。また早くからデザイナーを雇って、オリジナル商品開発の先駆けとなり、業界初という商品開発を次々と⼿がけてきた。先⼿先⼿で動いて、世の中をひっぱるぐらいの気概がある。⾮常識で前例がなくても、挑戦し続けるのだ。
毎年毎年、仕事のステージを引き上げる。お客様満⾜を110%引き上げられるぐらい、ステージを引き上げる。そういう考えで、お客様へ向けた商品やサービスの向上を図る。これが売上の110%につながる。
もしくは同じ仕事や作業にかかる時間や⼈数を減らし、会社の⽣産性を110%引きあげていく。そのためには、常にそれができる前提でできない理由をつぶしこんでいく、創意⼯夫を重ねるのだ。
アミナコレクションでは、その⼈に任せていきたい。新⼈でないかぎりは、上から細かく管理したくないのが本⾳だ。各⾃が⾃分に求められることをしっかりと⾝につけ、周囲の期待以上の成果を出し続けていれば、⾃由にしていい。そういう意味において⾃由な⼈たちの集まりを⽬指している。
⾃ら積極的に学んでいくことが基本だ。誰かに育ててもらおうなんて考えてるやつなんか頭にくる。安易に⼈に頼ることが出来ない⾟さはあるかもしれないが、⾃主的な判断で仕事を進めたい⼈には願ってもない職場だと思う。
会社の規模が⼩さかったころは皆1⼈何役みたいにして会社を回していた。たとえば営業部は出荷物流作業は⾃分達でやっていたし、デザイナーが物流倉庫で検品しに来たりMD構成を計画したり、オーダー作業をしたり、という具合に。その⼈が⽌まればすべてが⽌まってしまうので、皆、背負った表情で仕事をしていた。
組織が増えて⼈数が増えると、⾃分がやらなくても誰かがやってくれるという錯覚に陥る。⼈のせいにして⾔い逃れることもしやすくなる。でもそんな組織は⽣き残れないし、そもそも誰も楽しくない。規模が⼤きいからこそ、各⾃が⾃⽴して背負う、⾃分起点でものごとを解決する、という気持ちが⼤事だ。
だからアミナコレクションでは、担当制を基本にしている。それぞれ役割分担で担当カテゴリーとか、担当分野とか、ときにはプロジェクトリーダーとか、とにかく任される。成⻑の先には、計画から実⾏、反省までイニシアチブをとってやってもらっている。
ただ⾔われたとおりにしか動けないロボットは要らない。形だけの伝達をするロボットも要らない、その程度であればメールと変わらない。⾃分の肌感覚を磨いて、⾃ら考え、⾃らの⾔葉で話して、しっかり⾏動できる⼈。そして連携すべき⼈と、強い連帯感で物事を進められる⼈。強い個と連帯を⽬指す集団でありたい。
我々の商品は生活必需品ではない。物質的な意味では必需品ではないが、no culture, no life。我々が商品を通してお届けするカルチャーには人の心を豊かにする力がある。人間らしい感受性と活力を取り戻す力がある。Walk with the sunのビジョンの下に私達は集った。社内のあらゆる仕事はビジョンの達成を支えている。同僚でもあり、上司部下でもあるが、大前提として同志なのだ。